私にだけ通用する事であって、ほかの人には通用しない。
その人,その人によって、社長のやり方が違うのは当然である。
私は金をいじるのは不得手だから、人にやってもらう。
私は不得手なことはやらず、得手のことしかやらないことにしている。
人生は「得手に帆あげて」生きるのが最上だと信じているからである。”
あえて遠回りな問いを立てることで、より近い回答を得るやりかたについて。
たとえば「素人が3分間で朝青龍に勝てるやりかたを教えてください」なんて、格闘家の人にインタビューを行ったところで、たぶんたいした返事はもらえない。
それはそもそもが無理な問いだから、「無理」だとか「逃げろ」なんて返事ならまだいいほうで、「死んだ気で戦え」だとか、「素人でも余裕です」だとか、どうせ冗談にしか聞こえない、こんな問いには、いいかげんな答えしか返ってこない。
ところが「もしもあなたの息子さんが、今から3分後に朝青龍と戦わなくてはならなくなったら、あなたは3分間で何を伝えますか?」という質問を、いろんな格闘家に答えてもらったら、もう少し面白い返事がもらえるのだと思う。
「もしも」の状況に陥った息子さんに対して、たとえば格闘家としての自分のありかたを説く人もいるだろうし、とことん逃げるやりかた、「勝ち」というものの意味を教える人もいるかもしれない。あるいはそれでも、「戦うこと」にこだわって、拳の握りかただとか、有効な蹴りかたみたいな、3分という、ごくごく限られた時間であってもあえて伝えたい何かを、教えようとするかもしれない。あえて「もしも」を挟むことで、問題と、回答者との距離は遠のくけれど、思考の幅は広がって、役に立つ答えをもらえる可能性は、かえって高まるような気がする。
”あなたの子供に、って本質を引き出すキーワードだよなあと思う。「あなたはどう思いますか?」だとポーズが出がちだけど
(via kossetu) (via mmqqbb) (via tiga) (via bo-rude) (via petapeta) (via yoshinani) (via wideangle) (via matakimika)2011-06-25
(via quote-over100notes-jp) (via mcsgsym) (via elephantman75)A:平日の午前9時から午後5時まで働いている人
B:休日もほとんどなく、毎日朝から晩まで働いている人
C:週に数時間だけ働いている人
この3人のうち、「もっとも模範的な人」はどの人だろうか。
その社会で何が「模範的」と考えられているかによるが、日本ではAだろう。
この3人のうち、「もっとも幸せな人」はどの人だろうか。
それはわからない。それぞれの人の「幸せ」観や、仕事の内容による。
この3人のうち、「もっとも社会に貢献している人」はどの人だろうか。
それはわからない。それぞれの人が出している成果による。
Aが「模範的」であり、「望ましい」とその社会が考えるのは構わないが、だからといってBやCの労働形態を規制したり、罰していいものだろうか。
Bは仕事が面白くて、3人のうちもっとも充実しているかもしれない。
Cは最小の労働で、3人のうちもっとも大きな成果を出しているかもしれない。
逆にAは、労働時間だけ見れば「模範的」かもしれないが、ほとんど成果を出しておらず、かつ本人も幸せでないかもしれない。
AはBより労働時間は短いが、仕事がつまらなくて苦痛であり、余暇の時間をストレス解消のために無為に過ごし、稼いだお金をムダ使いしているかもしれない。
自由主義者はこう考える。何が幸せかは本人しかわからないのだから、本人がA~Cのうち好きなものを選べばいい。逆に、本人がA~Cのうち好きなものを選べないように社会が強制するのは、自由の侵害である。
”2009-11-24
(via quote-over100notes-jp) (via mcsgsym) (via katoyuu)しかし筆者の考えでは、日本の多くの会社で行われているこの種の人事・報酬制度は本当の成果主義ではない。名前を付けるなら「陰気な成果主義」とでも呼ぶべき、別物だ。
通常、この制度にあっては、目標の価値と達成度で評価される成果が部署なりグループなりの中で相対評価されて、その相対評価に応じてボーナスなどで「差を付ける」仕組みになっている。しかもボーナスは、会社が事前に払ってもいいと思っている程度の金額を配分するものであり、仮に大いに成果を上げても、その絶対額は大きなものにならない。
外資系の会社の報酬制度を経験すると、日本の会社が強調する「同期でも、上下に数十万円、場合によっては、数百万円の差が付くのだ」というポイントは、「たかだか、そんなものか」「しょぼい」という印象になる。支払いが「しょぼい」くせに、成果・報酬の優劣をあたかも人の優劣の差であるかのように強調するから、雰囲気が何とも「陰気」なものになる。
また、この「陰気な成果主義」が社員一般には好かれないもう1つの理由は、この制度にあっては、社員の目標と成果を評価して経営計画との整合性をチェックする役割の「社長室」「経営企画室(部)」「人事部」といった部署の社内エリートが常に安全圏で優遇されがちなことだ。
”Business Media 誠:山崎元の時事日想:給料に不満を感じる理由――日本に根付く“陰気な成果主義”とは? (1/2)
そんな「しょぼい」成果報酬制度だから社内ニート一人勝ちになるのだと思うw
(via tsundere) (via lunaryue, raurublock)2008-11-21
(via gkojay) (via tsundere) (via katoyuu)面 白 い 心 理 学 の 実 験 ・ 効 果 教 え て - うましかニュース (via appbank)
「ある行動に毎回、ご褒美を与えるよりも、たまに与えたほうが、何度もその行動を続けるようになる」
(via burnworks)(Source: shibata616, via burnworks)
”wakusei2nd 宇野常寛
《ラピュタというのは、宮崎駿がもう『未来少年コナン』ができないことを告白した映画なんだよね。パズーは最初「お父さんの遺志を継いでラピュタを見つけたい」と言っているのに、シータに調教されて彼女の生活保守イデオロギーを注入される。「人は土から離れては生きてはいけないのよ」的なね。》
wakusei2nd 宇野常寛
《むしろムスカのほうが「ラピュタは何度でも蘇るさ」と言って、かつて宮崎駿が描いていた「男のロマン」を擁護する。でもムスカは敗れて、城も崩壊する。それ以降の宮崎駿は、自虐的に豚になるとか、ヤケになってキムタクになるとかしないと飛べなくなってしまったんだよね。》
wakusei2nd 宇野常寛
《86年に『ラピュタ』でとどめを刺してから、彼は「少年が空を飛ぶ」ことを描けなくなってしまった。だからあれはむしろ、ボーイミーツガールで少年が自己実現する、男根主義的なロマンの断念の物語だったはず。》
このツイートを見て感銘を受けた。
でもね、ムスカは頑張ったんだよ。自らの出自に気づき、必死にラピュタ語を勉強して、軍隊で出世してあの若さで大佐になって、頑張ったんだよ。それが、パズー1人に全部パア!
134:11/04(金) 20:58 omGVUEoY0
ギリシャ「おめぇ、借金いくらよ?おいらっち40兆なんやけど?wwwwww」
日本「1000兆です」
ギリシャ「・・・え・・・!?」
日本「1000兆円です。」
ギリシャ「・・・う、うわあ・・・ああ・・・ああああああああああ(イスから転げ落ちる)」
日本「どうかしましたか?」
ギリシャ「ああ、あふゥッ・・・ひいいい・・ガクガク(足が震える)」
日本「やだなあ、そんなにびびらないで下さいよ。ちょっとバブル建て直しミスっただけですから^^」
ギリシャ「ああ・・あ・うんっ・ああ・・・ビクビクン」
日本「ちなみに二十年間経済成長ほぼゼロです。」
ギリシャ「あんっ!ああん・・らめ・・・もうらめえ!ビクンビクン」